慰安婦強制連行と徴用工の真実&ライダイハン。日韓併合の真実について説明しよう。

(割と長いですが、まあ3分ほどあれば読了しますんで、ぜひお付き合いください。)

はっきり言おう。

そもそも日本が当時の大韓帝国を侵略し、植民地化(欧米列強言うところの)、奴隷化したという事実は一切ない。

事実は「併合」。企業に例えるなら、合併。
しかもこれを日本に依頼してきたのは大韓帝国側。
当時の大韓帝国、既に破産状態で亡国寸前。更にソ連の南下に飲み込まれる一歩手前であった。

経済的・政治的に行き詰まっていた大韓帝国は、日本に救いを求め、併合を望み日本に助けを求めた。というのが事実。
要は日本に泣きついたわけだ。

当然日本政府はこれに驚き苦悩する。
意見は真っ二つに分かれ、議論は平行線。

政治的に最も強く反対したのは伊藤博文、言論側に立ち猛反対したのが福沢諭吉。
という話は、説明不要でしょう。
特に伊藤閣下は「彼の民族とは絶対に関わってはならない。」と最後まで強硬に反対し通した。
伊藤閣下、長州藩士であった青年時代より外遊の経験豊富で、世界各国を訪れ、国際情勢に精通しており、各国の内情に詳しく、確たる信念があっての発言であろう。

結果、日本政府は止む無く日韓併合を決意し実行に移す。
この話が信用ならないと思われる方は以下の出版物等に是非目を通してほしい。

日韓併合―韓民族を救った「日帝36年」の真実-祥伝社黄金文庫-崔-基鎬
韓国がタブーにする日韓併合の真実

韓国の大学教授による著作であり、多少の偏りはあるもののほぼ真実が記してある。

日本が止む無く併合を決意した理由は、言うまでもなく、ソ連による南進に対する脅威と恐怖。

本来日本にとって、半島を侵略してまで奪うメリットは全くもって皆無。
有り体に言えばわざわざ貴重な戦費と兵士を投入してまで侵略する旨味はまるで無い。

一口に言って、彼の地は無い無いづくしの土地であるわけである。

まず資源が無い。金品も無い。財産と言えるものは無い。文化も無い。
肝心の土壌は全域ほぼ酸性の花崗岩地帯であり、農地として劣悪な環境で農業生産力は世界でも最低レベルで価値は無い。当然酪農も期待出来ない。原資がないわけだから、当然ながら産業も無い。人的資源すら無い。

労働力も期待出来ない。理由は長らく根付いた儒教精神の悪弊で基本的に男子は働かないという伝統。男子は昼間から酒を喰らいタバコを吸い、寝転がってばかりだったという。労働は女子のする事。彼ら産まれながらに怠惰な男子を働かせる為には相当の訓練が必要であろうことは想像に難くない。

そんな苦労を引き受ける必要は我が国にはない。

チャイナは彼国を長らく冊封体制下の属国として扱ってきたが、朝貢物の粗末さに度々激怒している。

(ちなみにアジアの国々でチャイナの冊封に従わなかった国は日本のみである。興味のある方は、聖徳太子の業績について調べていただきたい。「王」の呼称を拒否し、国際的に「天皇」という言葉を始めて示した人物である。)

そも「朝鮮」という国名はチャイナが、彼国の統治者をチャイナ属国の「王」として認める際に命名した名前で、その意味するところは「朝貢物が少なくかつ粗末な国」ということであるそうだ。

(ちなみにチャイナ統治者は、「王」ではなく自称「皇帝」)

李朝時代には、最早チャイナを喜ばせるほどの貢物は無くなり「貢女」なる10代の処女を奴隷として差し出すしかなかった。
受け取る側のチャイナ皇帝は「醜い女ばかり」との不満を朝貢使節にぶつけたという。
チャイナもチャイナだ。呆れたもんである。
貢女

年頃の娘を持つ朝鮮半島の親は李氏朝鮮により「貢女」に選ばれ、連行されることを恐れ、娘の顔を傷つけたり、敢えて障害を負わせたりしたという。
そこまでしながらも、チャイナ皇帝からは「醜女」扱い。
悲惨極まりない話である。

話を戻すが日本にとって、半島を手に入れること自体、管理するリスクのみ負うデメリットばかりでメリットは皆無だったということ。

数千年に渡り、チャイナですら手を出さなかった理由がここに明白である。

李朝末期の半島はソ連侵略待ったなしの状態で、実現すれば、日本は喉元にドスを突き付けられた状態になる。

地勢的に半島はそもそもそういう土地であり、日本が半島を死守するのは必然。
歴史的にも、長年露西亜の南進を恐れた日本は何度も半島を外敵から守り続けてきた。
日清戦争開戦の理由しかり、日露戦争開戦の理由しかり。

国家防衛に当たり、半島を緩衝帯に置く必要性は必然絶対条件だった。
それは平成の現代でも同様だが。

日本政府にとって、半島死守はやむなき選択であり、大韓帝国合併やるかたなし。
大韓帝国側の要求を飲むしか無かったというのが事実。

これを知らない日本人があまりにも多過ぎて驚くわけだが、義務教育の教科書でも高校の教科書でも未だに真反対の嘘が書かれている。
これは米国をはじめとする戦勝国による日本に対する愚民化政策(GHQによるWGIP)の産物であり、当のワタシですら18を超えるまで山川出版の教科書の記述を可憐にも信じていた。

さて合併決定後、国家として崩壊状態だった半島の復興に着手する。
「内鮮一体」の思想の下、平等・対等の併合政策が始まる。

実に90%を超える文盲大国であった彼国に5,000校を超える学校を建設し義務教育を施すことを手始めに。
白人による支配であれば、ここで例えば英語あるいは蘭語等の自国語を押し付けるだろう。

しかし諸兄驚くべし。
日本は、第一国語としてまずハングルを教える。
さらに漢字の読めなくなっていた彼国民に漢字も教える。
「日帝は朝鮮民族からハングルを奪った」と妄言を騙る輩が多いが、事実は全くの逆。
日本語については、第二国語として教えたに過ぎない。

その他、鉄道、ダム、電気、上水道等、ありとあらゆるインフラ整備を半島全体に施し、近代化を完成させた経緯は説明するまでもないでしょう。
さらに驚くことに軍事教練まで行なっている。
反乱のリスクを負ってまで、である。
国家予算の大半を削ってまで。

大日本帝国、、どんだけお人好しやねん。つう話である。

ちなみに統治したアジア各国のインフラ整備、当時国の文化・歴史・言語の復興、軍事教練は全ての国において実施している。

例えば、インドネシアに侵攻した際、日本軍はインドネシア人とは全く戦っていない。戦ったのはオランダ軍。
インドネシアをオランダによる植民地奴隷化政策から解放したのが日本軍というわけである。

ものの数日でオランダ軍をインドネシアから追い払った精強な日本軍をインドネシア人は熱狂しながら称えたという。
この地でもまた、あらゆるインフラ整備および現地人に対する軍事教練を行っている。銃器などの武器も与えている。

「オランダ軍がまた攻めて来たら、自分達で戦えるようになれ。」と。

「大東亜共栄圏」構想は妄想ではなく、実行に移されていたわけである。

仮に。
欧米式の「植民地化」に倣うなら、まず手始めに李王朝を滅ぼすのが先決でありさらに知識層を殲滅し、誇りと文化と言葉を奪い、愚民化統治を行うのが常套。
しかし日帝はそれを一切行なっていない。

しかしなんと日本は欧米式とは逆に、李王朝を立て直すことにまず着手する。

証左となる事実が、日本国皇室からの李朝皇太子に対する降嫁。
半島民族を平等に扱うという基本姿勢がここに明示されており、あまつさえ「奴隷化」「植民地化」などなかった事実の証明に他ならない。

李朝皇太子に嫁いだ方が有名な梨本宮方子内親王殿下。
殿下は、後の昭和天皇裕仁殿下の皇后第一候補であり、皇室において最も重要な地位にある貴人であった。

当時学習院中等科に通う少女であった殿下は、新聞紙面でこれを知り、一人涙に暮れたという。

その後の半島での妃のご活躍はご存じの通り。
21世紀の現在に至るまで韓国国民の尊崇を受け続けている稀有な日本人の一人。
興味のある方はこちら。

梨本宮方子内親王殿下

話が長くなったが、要するに日本は朝鮮民族をかくも大切に扱い、優遇してきたのが事実。
内地の日本国民が食うや食わずの状態だったのにかかわらず。

当然、彼らを奴隷化した事実などあり得ない。
敗戦が近くなり、内地の青年男子の殆どが徴兵され男子の人口が激減しているが、半島からは一人として徴兵されていない。

日本青年の貴重な人材である国立七大学・帝大生はおろか、プロ野球選手、関取らが最前線に送られ、無残な戦死を遂げている。
有名どころでは沢村栄治らがそれである。
鎮魂の碑_(日本プロ野球)

もう一度言う。半島出身青年の徴兵は一人もいない。

朝鮮青年の集団強制連行の事実もない。

多少の徴用は確かにあった。当時彼等は「日本人」だったわけだから、当然の話。

ジブリ映画「火垂るの墓」のワンシーンに、少年少女たちが学校に行かせてもらえず、軍需工場などに徴用される場面をご存知だろう。

徴用は、当時の日本国民の義務であり、全ての学生が動員されている。

私事、実父は昭和一桁生まれの戦中派であり、戦時中は小学生であった。
彼曰く、疎開先で学校に行くことは全く無く、畑ばかり耕していたという。
つまりはそういう時代だったわけだ。

ちなみに半島からの「徴用」はわずか「245人」だったことが判明している。

徴用工
近年公開された映画「軍艦島」 など全くのファンタジー、虚構・捏造だという事がおわかりだろう。

言うまでもないが、いわゆる「従軍慰安婦」と呼ばれる女性たちの強制連行もまた明らかな捏造である。

当時の慰安婦は、朝鮮女性も日本女性も「志願」あるいは親の身売り。
しかもその80%以上が日本人である。

内訳は東北地方の貧農の出身者が大半だったとか。
まさに「おしん」の世界。それが悲しい現実だったわけだ。
貧しい時代だったのだ。
台湾人が語る「従軍慰安婦はみんな志願だった」

ちなみに1965年の「日韓基本条約」に調印した朴正煕韓国元大統領は、戦時中は日本軍の中尉。
日本軍の高級将校だったわけで、軍部の内情に通じていたはずである。
であれば、慰安婦について何も知らなかったとは考えられない。

しかし、彼は日韓基本条約において、「慰安婦、徴用工への賠償」を含む日本からの総額8億ドルもの賠償を受け取っている。
両国の過去の問題を全て水に流すことを条件に、である。
つまり、1965年に既に一切の請求権を放棄しているわけである。

何もかもとうの昔に済んだ話である。

要するに、戦後の賠償問題の全てが彼国にとっての単なるビジネスに過ぎない。
慰安婦賠償もビジネス。徴用工に対する賠償要求もビジネス。
全てが賠償という名のビジネスである。
ひとことで言えば、タカりビジネス。

自国民をたばかり、道具として利用するという悪質極まりないビジネス。

気の毒なのは、その事実を一切知らされず、受け取った賠償金の中から一銭も金銭を貰えていない韓国国民に他ならない。

哀れな話ではないか。

日本政府は「被害者に直接現金を渡したい」と韓国政府に要望している。
しかし、韓国政府はそれを拒否し「我々が責任を持って分配する。」と断言している。

さて、みなさんの予想通り、韓国政府は全額を国家予算として使ってしまっている。
被害者には未だに一ドルたりとも分配してはいない。

さらに日本政府は、韓国政府に何度も何度も公式謝罪している。

そして、何億ドルもの賠償金を何度も何度も払っている。
もちろん謝罪も賠償も全く必要ないわけだが。

なんとも不幸なのは、韓国国民がその事実を知らされていないこと。
賠償金の事実も知らされていないから、国民はただただ日本のみを恨み謝罪と賠償を要求し続けている。

女性の人権がどうのときれい事を並べながら、自国民を騙し続けているのは韓国政府。
自国民を愚弄しているのが他ならぬ韓国政府。

実に哀れなのは、韓国国民ではないか。

さらに、事実を知ったため「親日派」とレッテルを貼られてしまった知識層は、激しい迫害を受け、酷いケースでは有罪判決・逮捕・投獄までされている。

「帝国の慰安婦」著者に有罪判決

親日ホームページを作った13歳中学生を逮捕し投獄か 「親日は許さぬ、殴り殺せ」

このように平然とシビリアンコントロールを行う政府など、最早民主国家とは呼べない。
チャイナや北朝鮮などの軍事独裁国家と何ら変わりはない。

国民を政治利用し、賠償ビジネスの走狗として利用し、自国民を愚弄し苦痛を与え続ける韓国政府こそ覚醒せねばならない。

そして、ファンタジーに過ぎない「日帝植民地時代」は遙か昔の話であり、外交的にはとうの昔に解決している案件であると断言できる。
しかも全てが「捏造」であり事実ではない。

しかし考えてみよう。
件の「ライダンハン問題」はたった「ついこの前」の事実であり、生き証人が今現在何万人も生きており、ベトナムで苦しい生活を強いられている。
動かぬ「証拠」が人の命として生き続けている。

「日帝植民地時代」は終わった話であるが「ライダンハン問題」はまさしく現在進行形の生きた案件であり、韓国政府は真摯に対応する義務がある。

欺瞞は最早許されない。

自国民に対する言論統制を弄することも全くもって許されない。

韓国政府の「正気」に一縷の望みを求めるしかないと考える今日この頃である。

【閲覧注意】ライダイハンって何?ベトナム【韓国虐殺犯罪】

最後にお時間のある方は、このお写真でも。
日韓併合前の朝鮮半島

「慰安婦強制連行と徴用工の真実&ライダイハン。日韓併合の真実について説明しよう。」への2件のフィードバック

  1. 強制連行はなかったというところに違和感を感じます。
    朝鮮に対してかなりの物・事を施したということは、何度もご教示いただきましたので理解しております。
    しかし(詳しく調べていないので恐縮ですが)日本の多くの炭坑で朝鮮人が働かされていたと何かの本で読んだことがあります。
    731部隊の件では人を丸太と呼んだり、中国人をチャンコロと呼んだり、
    日本は必ずしも美化されるべき行為ばかりをしてきたわけではないと思います。
    私が一番納得いかないのは何も瑕疵がないと言い切る半面、日本軍が戦後真っ先に行ったことが証拠の抹消だったということです。
    やましい事がないのであれば堂々と相手側の裁定を待ったほうが良かったのではないかと思っております。
    以上についてご見解をお願い致します。

    1. 森崎様

      はじめまして。三谷です。
      コメントありがとうございます。

      まず「強制連行」についてですが、この言葉自体、本来日本語には無いもので、戦後20年を経てから恣意的に作り出された造語です。

      当時の日本では「徴用、労務動員」という言葉が使われていました。

      ご存じの通り、当時内地の主に学生や壮年者にこの言葉が適用され、軍需工場での作業や農作業などの労働に従事させられていました。
      もちろん挙国一致体制の元、多分に強制性の強いものだったことと思われます。
      ワタシの知っている限り、当時小学生〜中学生だった老人達は皆この「徴用」「労務動員」にかり出されています。
      私の実父も同様です。
      「学校に全く行けなかった。配給はサツマイモしか無かった。」と生前話していました。
      戦時下の日本人の義務だったようです。

      当時の朝鮮半島は日本でしたから、住人もまた「日本人」だったわけです。
      運命共同体、と言うこともできるかもしれません。

      ですから彼らに「徴用」「労務動員」が課せられるのも義務だったろうと思います。

      ですが実際には、強制的な「徴用」「労務動員」が、朝鮮民族に対して大量に行われたという記録はなく、残っている記録では「245人」という数字しか出てきておりません。
      よくあるイメージとして「数十万人」の強制があった、とされていますがこれには曲解を多分に含んでいます。

      実状は以下のようなものです。

      朝鮮人志願兵と同様に「徴用」「労務動員」に対する「志願者」を募集していたという事実があります。
      実際の志願者の総数は「30万人」。彼らのうちほとんどが戦後帰国せず、在日として国内に残っています。
      半島での生活は非常に貧しく辛いものだったそうですから、賃金と食料の配給を受けられるこの募集には、実に多くの志願者がいたようです。

      「志願者」募集が行われた時期ですが、1939年9月〜1942年1月まで、です。
      当時はまだ護衛艦も多く残っていたでしょうから、船で運ぶことにさほどの困難はなかったであろうと推測します。

      そして、この志願者「30万人」を指し「徴用」と表現する人もおり、「志願」はもちろん「徴用」と「強制連行」の言葉の線引き自体が非常に曖昧になっており、一般的には大変判りにくい案件になってしまっているのが実状です。

      果たして「強制連行」が事実であるとするなら、わざわざ「志願」を募ったりするものでしょうか。
      「強制連行」が可能であれば「志願」の募集は必要ないですよね。

      さらに「徴用」された朝鮮人には、日本人より高い賃金が保証され食料も「特配」と呼ばれる日本人より多い量の食事が配給されていたそうです。
      内地の日本人と比較して、かなり優遇されていたことがわかります。

      http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-7236.html?sp

      また、徴兵を一人もしていないのは紛れもない事実です。
      「志願兵」を募集したことは定期的にあります。

      一番多かったのが1943年の「6,000人」で、その定員に対し50.6倍もの志願があったといいます。
      正直不思議な気がしますが、多くの韓国朝鮮の青年が日本軍への入隊を希望していたことになります。

      最も有名な志願兵が、後に大統領となり、日韓基本条約を締結した「朴正煕」元大統領ですね。
      彼は学校での成績が非常に優秀だったらしく、教官から「内地の士官学校で勉強しなさい。」と勧められ、士官学校に進み勉強しています。もちろん無償です。
      中尉に昇進してからは、多くの日本人の部下を持っています。

      彼ら韓国朝鮮の志願兵達が戦死、あるいは戦傷病者となった際はきちんと「弔慰金と生活設計支援特別給付金」が支払われており、戦死者は靖国神社に英霊として祀られています。
      これが戦没者にとって名誉か不名誉かは別にして。

      話変わって。
      戦後、アメリカが日本の「強制連行」を戦争犯罪と断罪して咎める目的(自らの民間人大量虐殺という当時の国際法を無視した無差別大量爆撃などの戦争犯罪を正当化するのが目的)で、3,000万ドル以上をかけて8年間にわたり、移民局・FBI・CIAも巻き込んでの大々的な調査が行われています。
      調査の対象となった未公開文書や機密文書は、850万ページ以上。
      (大量の資料・証拠が残っていたというわけです。)
      これだけの資料があれば、何か一つでも出てくるはずだとは思われませんか。

      しかし、そこまでしても「強制連行」の証拠を何一つ見つけることはできませんでした。調査を担当したIWG委員長代行のスティーブン・ガーフィンケル氏が、何の証拠も出せなかったこの調査結果について「失望」と発言しています。

      (アメリカは同時に、同じ敗戦国であるドイツにも同様の調査を幾度となく行っています。)

      話を戻します。
      日本国内で日本人に対する国民徴用が始まったのは1944年からです。
      1944年といえば、敗戦の前年です。

      朝鮮半島に対する徴用が始まったのはさらにその後です。
      1944年9月以降です。
      その時点では制海権を失っていたわけですから、容易に日本への船を出すことは不可能だったでしょう。
      すると「245人」という人数もうなずける話ではあります。

      しかし、現在韓国政府が主張する「強制連行」の数は「600万人」とされています。

      その時既に制海権を失っていた日本軍が、大量の朝鮮民族を半島から船で無事運んだ、しかも大量に運んだと考えるのは無理があるとは考えられないでしょうか。
      連合艦隊その他軍艦や護衛艦は海外の戦地に派遣されており、丸腰の船が日本海を無事何往復もすることが出来たでしょうか。

      しかも始まったのが1944年9月ですから、敗戦まで一年を切っています。

      また、そこまでする必要性が果たしてあったのか?という点も疑問です。
      ただでさえ食糧難に陥っていた内地にさらに数多くの人間を養う余力が果たしてあったか?という点も疑問です。
      無事運んだとしても、現代の韓国政府の言う「600万人以上」という数字に信憑性はさすがに見られません。
      たった11ヶ月で、護衛無しの丸腰の船を使って「600万人」。
      それこそ至難の技であり、荒唐無稽な話です。

      ちなみにこの「強制連行」という言葉を初めて作った人物は朝鮮総連系の「朴慶植」という在日北朝鮮人であり、彼本人は1929年、両親と共に日本に自ら渡ってきています。
      発表されたのは1965年のことです。「強制連行」はつまりは彼による造語です。
      本人が自らの意志で渡日しながら、この言葉を作った意味は何らかの印象操作的目的があろうことは否めません。

      また、彼の著作には非常な偏りが見られ、「証言」「伝聞」のみに基づいて書かれており「証拠」は一切出てきません。
      証言者の話す年代にも矛盾が多く、首をかしげざるをえない内容になっています。
      彼の著作物の信憑性は非常に薄いです。

      1965年当時はまるで話題に上らなかった言葉ですが、80年代に突然日本の左翼や左派系メディアがこの言葉を流布し始め、使い勝手の良い言葉として反日系韓国人達によりさらに広められた。という背景が事実としてあります。

      ちなみに私事で恐縮ですが、20歳を過ぎた頃から日韓近代史にあまりにも矛盾したことが多いと気づき、私なりに相当研究してきました。

      20代は大阪に住んでいましたので、生野区のコリアンタウン、鶴橋のコリアンタウン、三宮のコリア系飲食店を巡り、一人でフィールドワークをしています。

      果たして、彼ら在日の方々の中から強制的に連れて来られた、あるいは親やその上の世代が強制的に連れて来られた、という話は一つも出てこず、記憶のある人の全てが自分の意志でやってきた、あるいは親に連れて来られた、と語っていました。

      在日の人達というのは、一度わかり合えば友達、一度飲めば友達、という快活な方が多く、聞けばいくらでも話をしてくれます。

      30年近くこういった質問を在日の人達にぶつけ続けてきましたが、「強制連行」されて来た、という人には一人も出会ったことが結局ありません。

      話してみてよくわかったのは、半島での生活が余りにも苦しかったこと。
      苦しく貧しかったこと。
      苦しみから逃れるために、生活が豊かそうに見える日本に移住した、という理由がほとんどでした。
      また、彼らの出身地のほとんどが済州島でした。
      済州島といえば、朝鮮民族に長年残る悪弊である差別階級制度の最下層の被差別階級である「白丁」の多く住む、島全体が巨大な被差別地域となっている土地です。

      朝鮮民族の同族同士の差別は、我々の想像以上に苛烈なものだそうで、「白丁」とされた人達が半島で生きていくのは大変困難なようです。
      朝鮮半島では、飲食業は賤業とされており、飲食業は「白丁」の専門職となっています。現在でもそうです。

      在日の方に飲食業を営む人が多いのはそのためです。

      彼らは一様に「祖国に帰るより日本で住む方が幸せ」と言います。
      在日差別など軽いもの、と言います。
      また逆に帰れば「半日本人(パンチョッパリ)」と呼ばれ、「白丁」以上に酷い差別を受けてしまうのだそうです。

      多くの在日韓国人や在日朝鮮人が祖国に帰りたがらない理由がそこにあるようです。

      実は「白丁」のさらに下に「奴婢」という最下層階級が存在し、最早人間扱いされることすらない階級です。この話はかなり酷いです。(ご興味があればお調べください。)

      渡日してきた韓国朝鮮人の中でも有名な人物は、古くは「力道山」「大山倍達」などのスポーツ界の英雄。
      いずれも日本での成功を夢見て渡来した人たちです。
      二人と親交の深かった劇画作家の故梶原一輝氏の自伝によると、力道山は大相撲にスカウトされて北朝鮮から来日しています。
      大山倍達は、1939年にソウルから日本に密航してきています。
      また、力道山の愛弟子「大木金太郎(本名:金一)」氏も力道山が全羅南道でスカウトし、日本に連れてきています。

      最近では、コメンテーターとして活躍している張本勲氏も親に連れられてきた人です。
      俳優の故松田優作氏も同様です。
      劇作家の故つかこうへい氏も同じ。

      また財界ではパチンコマルハン創業者「韓昌祐」氏、ソフトバンク創業者の「孫正義」氏などがいますが、彼らもまた自分の意志で来日した人たちで、「韓昌祐」氏は2005年のテレビインタビューではっきりと「私は密航者」と話しています。
      また「孫正義」氏も1947年に密航してきた密航者三世ということがわかっています。
      また、作家の「キム・ギルホ」氏も、「1973年、食うために日本行きの密航船に乗った」と語っています。

      また、私の卒業した大学はミッション系でとても自由な校風のため、世界中の外国人留学生、あるいは在日朝鮮人学生、在日韓国人学生が通っており(学生数は2万人を超えます。)、彼らとの交流も深いものがありました。
      彼らもまた友達になれば、正直になんでも話す人達でした。
      かなりの人数と会って話しましたが、全て「祖先が自由意志で日本に来た」と話していました。

      一番多かったのが、「牧師としての布教活動が目的」というものでした。
      ミッション系ですから当然かと思いますが。

      以上のように30年足らずの私の狭い見識の中ではいわゆる「強制連行」された人物とは一人も出会えておらず、「強制連行」の事実は未だ見つかっておりません。
      (ちなみに私は「強制連行」という造語について、正しい表現として認めていません。)

      というわけで、私の経験上「強制連行」は無かったわけではない。
      あったとしてもごく少数。と結論づけております。

      他に情報があれば是非ともご教示の程お願い致します。

      そして、日本軍があくまでも清廉潔白でその行動の全てが正しかった、などという妄想を私は持っていないことをはっきり申し上げておきます。

      日本軍を「皇軍」として崇め奉り、美化、果ては神格化する思想は決して穏やかな思想ではありません。
      それは「極右」の方達の思想です。最早信仰に近いものと冷ややかに見ております。

      すみません。私は文章を書くのがとても遅い人間です。
      あまり時間を割くこともできませんので、本日のところは「強制連行」に関する私見のみ述べさせていただきます。

      その他についてはまた後日私見を述べさせていただきたく思います。
      それでは失礼します。

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